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かば、胸のうちに若干のことは入りきたらざらまし。

丹波に出雲といふ所あり。大社を遷してめでたくつくれり。しだのなにがしとかやしる所なれば、秋の頃聖海上人、その外も人あまたさそひて、「いざたまへ、出雲をがみに、かいもちひめさせむ」とて具しもていきたるに、各拜みてゆゝしく信をおこしたり。御前なる獅子狛犬、背きてうしろざまに立ちたりければ、上人いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子のたちやういとめづらし。深きゆゑあらむ」となみだぐみて「いかに殿ばら、殊勝の事は御覽じとがめずや。むげなり」といへば、おのおのあやしみて、「まことに他にことなりけり。都のつとにかたらむ」などいふに、上人なほゆかしがりて、おとなしく物知りぬべき顏したる神官をよびて、「この御社の獅子のたてられやう、定めてならひあることに侍らむ。ちと承らばや」といはれければ、「そのことに候ふ。さがなきわらはべどもの仕りける、奇怪に候ふことなり」とてさし寄りてすゑなほしていにければ、上人の感淚いたづらになりにけり。

やない箱にすうるものは、縱ざま橫ざま物によるべきにや。「卷物などはたてざまにおきて、木のあはひより紙ひねりを通してゆひつく。硯も縱ざまにおきたる、筆ころばずよし」と三條右大臣殿仰せられき。勘解由小路の家の能書の人々は、かりにも縱ざまにおかるゝことなし。かならず橫ざまに居ゑられ侍りき。

御隨身近友が自讃とて、七箇條かきとゞめたることあり。みな馬藝させることなき事どもなり。そのためしを思ひて、自讃のこと七つあり。