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の事もよく見えわろくみゆるなり。

よろづのとがあらじと思はゞ、何事にもまことありて、人をわかずうやうやしく、詞すくなからむにはしかじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊にわかくかたちよき人のことうるはしきは、忘れがたく思ひつかるゝものなり。よろづのとがは馴れたるさまに上手めき、所えたるけしきして、人をないがしろにするにあり。

人のものを問ひたるに知らずしもあらじ。ありのまゝにいはむはをこがましとにや、心まどはすやうに返り事したるよからぬことなり。知りたることも、なほさだかにと思ひてや問ふらむ。又まことに知らぬ人もなどかなからむ。うらゝかにいひきかせたらむは、おとなしく聞えなまし。人はいまだ聞き及ばぬことを、我が知りたるまゝに「さてもその人の事のあさましさ」などばかりいひやりたれば、いかなることのあるにかと推し返しとひにやるこそ心づきなけれ。世にふりぬることをも、おのづから聞き漏すこともあれば、覺束なからぬやうに吿げやりたらむ、惡しかるべきことかは。かやうの事はものなれぬ人のあることなり。

ぬしある家には、すゞろなる人、心のまゝに入りくることなし。あるじなき所には、道行人みだりに立ち入り、狐ふくろふやうのものも、人げにせかれねば、所えがほに入りすみ、こだまなどいふけしからぬ形もあらはるゝものなり。また鏡には色かたちなきゆゑに、萬の影きたりてうつる。鏡にいろかたちあらましかば、うつらざらまし。虛空よくものをいる。我等が心に念々のほしきまゝにきたりうかぶも、心といふものゝなきにやあらむ。心にぬしあらまし