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らず。あしく吹けばいづれの穴もこゝろよからず。上手はいづれも吹きあはす。呂律のものにかなはざるは人のとがなり。器の失にあらず」と申しき。
「何事も邊土は卑しくかたくななれども、天王寺の舞樂のみ都に恥ぢず」といへば、天王寺の伶人の申しはべりしは、「當寺の樂はよく圖をしらべ合せて、ものゝ音のめでたくとゝのほり侍ること、外よりもすぐれたるゆゑは、太子〈聖德〉の御時の圖今にはべるをはかせとす。いはゆる六時堂の前の鐘なり。そのこゑ黃鐘調のもなかなり。寒暑に隨ひてあがりさがりあるべきゆゑに、二月涅槃會より聖靈會までの中間を指南とす。秘藏のことなり。この一調子をもちていづれのこゑをもとゝのへ侍るなり」と申しき。およそ鐘のこゑは黃鐘調なるべし。これ無常の調子、祇園精舍の無常院のこゑなり。西園寺の鐘、黃鐘調にいらるべしとて、あまたゝび鑄替へられけれども、かなはざりけるを、遠國よりたづね出されけり。法金剛院の鐘の聲、また黃鐘調なり。
建治弘安のころは、祭の日の放免のつけものに、ことやうなる紺の布四五端にて馬をつくりて尾髮にはとうじみをして、くものいかきたる水干につけて、歌の心などいひてわたりしこと、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心ちにてこそ侍りしか」と老いたる道志どもの今日もかたり侍るなり。この頃はつけもの年をおくりて、過差ことの外になりて、萬の重きものを多くつけて、左右の袖を人にもたせてみづからはほこをだにもたず、息つきくるしむありさまいと見ぐるし。