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り。此所の神なりといひて、事のよしを申しければ「いかゞあるべき」と勅問ありけるに、「ふるくよりこの地を占めたるものならば、さうなく堀り捨てられがたし」とみな人申されけるに、この大臣一人、「王土に居らむ蟲、皇后を建てられむに何のたゝりをかなすべき。鬼神はよこしまなし。咎むべからず。たゞ皆ほりすつべし」と申されたりければ、塚をくづして蛇をば大井川に流してけり。更にたゝりなかりけり。

經文などの紐をゆふに、上下よりたすきにちがへて、二すぢの中より、わなのかしらを橫ざまにひき出すことはつねのことなり。さやうにしたるをば、華嚴院の弘舜僧正解きてなほさせけり。「これはこの頃やうのことなり。いとにくし。うるはしくは、たゞくるくると卷きて、上より下へわなのさきをさしはさむべし」と申されけり。ふるき人にてかやうのこと知れる人になむ侍りける。

人の田を論ずるもの、うたへにまけてねたさに、「その田を刈りてとれ」とぞ人をつかはしけるに、まづ道すがらの田をさへ刈りもてゆくを、「これは論じたまふ所にあらず。いかにかくは」といひければ、刈るものども、「其所とても刈るべきことわりなけれども、僻事せむとてまかるものなれば、いづくをか刈らざらむ」とぞいひける、ことわりいとをかしかりけり。

喚子鳥は春のものなりとばかりいひて、いかなる鳥ともさだかにしるせるものなし。ある眞言書の中に、よぶ子鳥なくとき招魂の法をば行ふ次第あり。これは鵺なり。萬葉集の長歌に、「霞たつながき春日の」などつゞけたり。鵺鳥も喚子鳥のことざまにかよひてきこゆ。