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みにあらず、大かたのふるまひ心づかひも、おろかにしてつゝしめるは得の本なり。たくみにしてほしきまゝなるは失の本なり。

あるもの子を法師になして、「學問して因果の理をもしり、說經などして、世わたるたづきともせよ」といひければ、敎のまゝに說經師にならむために、まづ馬に乘りならひけり。輿車もたぬ身の、導師に請ぜられむ時、馬などむかへにおこせたらむに、もゝじりにて落ちなむは心憂かるべしと思ひけり。次に佛事の後、酒などすゝむることあらむに、法師のむげに能なきは檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざやうやう境に入りければ、いよいよよくしたくおぼえて嗜みける程に、說經ならふべきひまなくて年よりにけり。この法師のみにもあらず、世間の人なべてこのことあり。若きほどは諸事につけて身をたて、大なる道をも成し、能をもつき、學問をもせむと、行く末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世をのどかに思ひてうち怠りつゝ、まづさしあたりたる目の前の事のみにまぎれて、月日をおくれば、ことごとなすことなくして身は老いぬ。終にものゝ上手にもならず、思ひしやうに身をももたず、とり返さるゝ齡ならねば、走りて坂をくだる輪の如くに衰へゆく。されば一生のうちにむねとあらまほしからむことの中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一のことを案じ定めて、その外は思ひすてゝ、一事を勵むべし。一日の中一事の中にも、あまたのことのきたらむ中に、すこしも益のまさらむことを營みて、その外をばうちすてゝ大事をいそぐべきなり。いづ方をもすてじと心にとりもちては、一事も成るべ