Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/332

このページは校正済みです

は、たけき河のみなぎり流るゝがごとし。しばしもとゞこほらず、たゞちに行ひゆくものなり。されば眞俗につけて、かならず果し遂げむと思はむ事は、機嫌をいふべからず。とかくの用意なく、足をふみとゞむまじきなり。春くれて後夏になり、夏はてゝ秋のくるにはあらず。春はやがて夏の氣をもよほし、夏より旣に秋はかよひ、秋はすなはち寒くなり、十月は小春の天氣、草も靑くなり梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる氣下にまうけたるゆゑに、待ちとるついで甚はやし。生老病死のうつり來ることこれに過ぎたり。四季はなほ定まれるついであり。死期はついでをまたず。死は前よりしも來らず、かねてうしろにせまれり。人みな死あることを知りて、待つことしかも急ならざるにおぼえずして來る。沖の干潟はるかなれども磯より潮の滿つるがごとし。

大臣の大饗はさるべき所を申しうけて行ふ常のことなり。宇治左大臣殿〈賴長〉は、東三條殿にて行はる。內裏にてありけるを申されけるによりて、よそへ行幸ありけり。させることのよせなけれども、女院の御所などかり申す故實なりとぞ。

筆をとればものかゝれ、樂器をとれば音をたてむと思ふ。盃をとれば酒を思ひ、賽をとればだうたむことをおもふ。心はかならず事に觸れて來る。かりにも不善のたはぶれをなすべからず。あからさまに聖敎の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むることもあり。かりに今この文をひろげざらましかば、この事を知らむや。これすなはち