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もふるまひも、おのれが好む方に譽めなすこそその人の日ごろの本意にもあらずやとおぼゆれ。この大事は、權化の人も定むべからず。博學の士もはかるべからず。おのれ違ふところなくば、人の見きくにはよるべからず。

栂尾の上人〈高辨〉道を過ぎ給ひけるに、河にて馬あらふ男、「あしあし」といひければ、上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執開發の人かな。阿字阿字と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候ふ」と答へけり。「こはめでたきことかな。阿字本不生にこそあなれ。うれしき結緣をもしつるかな」とて感淚をのごはれけるとぞ。

御隨身秦の重躬、北面の下野入道信願を「落馬の相ある人なり。よくよく愼み給へ」といひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願馬より落ちて死にけり。道に長じぬる一言神の如しと、人おもへり。さて「いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「極めてもゝじりにして、沛艾の馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる」とぞいひける。

明雲座主、相者に逢ひたまひて、「おのれもし兵仗の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「まことにその相おはします」と申す。「いかなる相ぞ」とたづね給ひければ、「傷害のおそれおはしますまじき御身にて、假にもかくおぼしよりて尋ね給ふ。これ旣にそのあやぶみのきざしなり」と申しけり。はたして矢にあたりてうせ給ひにけり。

灸治あまた所になりぬれば、神事にけがれありといふこと、近く人のいひ出せるなり。格式