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大かた何もめづらしくありがたきものは、よからぬ人のもて興ずるものなり。さやうのものなくてありなむ。

身死して財のこることは智者のせざるところなり。よからぬものたくはへおきたるもつたなく、よきものは心をとゞめけむとはかなし。こちたく多かるまして口をし。「我こそえめ」などいふものどもありて、あとに爭ひたるさまあし。後は誰にとこゝろざすものあらば、いけらむうちにぞゆづるべき。朝夕なくてかなはざらむものこそあらめ、その外は何ももたでぞあらまほしき。

悲田院の堯蓮上人は、俗姓は三浦〈伊豆〉のなにがしとかや、さうなき武者なり。故鄉の人の來て物がたりすとて、「あづま人こそいひつることはたのまるれ。都の人はことうけのみよくて、まことなし」といひしを、聖「それはさこそおぼすらめども、おのれは都に久しくすみて、馴れて見るに、人の心おとれりとは思ひ侍らず。なべて心やはらかに情あるゆゑに、人のいふほどのこと、けやけくいなびがたく、よろづえいひはなたず、心よわくことうけしつ。僞せむとは思はねど、ともしくかなはぬ人のみあれば、おのづから本意とほらぬこと多かるべし。吾妻人は我がかたなれど、げには心の色なく情おくれ、偏にすくよかなるものなれば、はじめよりいなといひて止みぬ。にぎはひゆたかなれば、人にはたのまるゝぞかし」とことわられ侍りしこそ。この聖聲うちゆがみあらあらしくて、聖敎のこまやかなることわり、いとわきまへずもやと思ひしに、この一言の後心にくゝなりて、多かる中に寺をも住持せらるゝは、