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に、滴ることすくなしといふとも、怠るまなく漏りゆかば、やがて盡きぬべし。都のうちにおほき人、死なざる日はあるべからず。一日に一人二人のみならむや。鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも、送る數おほかる日はあれど、おくらぬ日はなし。されば棺をひさぐもの、作りてうちおくほどなし。わかきにもよらず、つよきにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日までのがれ來にけるは、ありがたき不思議なり。しばしも世をのどかに思ひなむや。まゝ子立といふものを、雙六の石にてつくりて立て並べたるほどは、とられむこといづれの石とも知らねども、數へあてゝ一つをとりぬれば、その外はのがれぬと見れど、またまた數ふれば、かれこれまぬき行くほどに、いづれものがれざるに似たり。つはものゝ軍にいづるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ身をもわする。世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これをよそに聞くと思へるはいとはかなし。しづかなる山の奧、無常のかたききほひ來らざらむや。その死に臨めること、軍の陣に進めるにおなじ。祭過ぎぬれば、後の葵不用なりとて、ある人の御簾なるを皆とらせられ侍りしが、色もなくおぼえ侍りしを、よき人のしたまふことなれば、さるべきにやと思ひしかど、周防の內侍が、
「かくれどもかひなきものはもろともにみすの葵の枯葉なりけり」
とよめるも、「母屋の御簾に葵のかゝりたる枯葉をよめる」よし家の集にかけり。ふるき歌のことばがきに、「枯れたる葵にさして遣はしける」とも侍り。枕草紙にも、「こしかた戀しきもの、かれたる葵」とかけるこそいみじくなつかしう思ひよりたれ。鴨長明が四季の物語にも