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り、あからめもせずまもりて、酒のみ連歌して、はては大なるえだ心なく折りとりぬ。泉には手足さしひたして、雪にはおりたちて跡つけなど、萬の物よそながら見ることなし。さやうの人の祭見しさま、いとめづらかなりき。見ごといとおそし。そのほどは棧敷不用なりとて、奧なる屋にて酒のみものくひ、圍碁雙六など遊びて、棧敷には人をおきたれば、「わたり候ふ」といふ時に、おのおの肝つぶるゝやうに爭ひ走りのぼりて、落ちぬべきまで簾張りいでゝおしあひつゝ、一事も見もらさじとまもりて、とありかゝりと物事にいひてわたり過ぎぬれば「又渡らむまで」といひておりぬ。唯物をのみ見むとするなるべし。都の人のゆゝしげなるは、ねぶりていとも見ず。若くすゑずゑなるは、宮仕にたちゐ、人の後にさぶらふは、さまあしくも及びかゝらず、わりなく見むとする人もなし。何となく葵かけわたしてなまめかしきに、明け離れぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それかかれかなど思ひよすれば、牛飼下部などの見知れるもあり。をかしくもきらきらしくも、さまざまに行きかふ見るもつれづれならず。暮るゝほどには、立てならべつる車ども、所なくなみゐつる人も、いづかたへ行きつらむ、程なくまれになりて、車どものらうがはしさもすみぬれば、簾たゝみもとりはらひ、目の前にさびしげになりゆくこそ世のためしも思ひ知られてあはれなれ。大路見たるこそ祭見たるにてはあれ。かの棧敷の前を、こゝら行きかふ人の見知れるがあまたあるにて知りぬ。世の人數もさのみはおほからぬにこそ。この人みな失せなむ後、我が身死ぬべきにさだまりたりともほどなく待ちつけぬべし。大きなる器に水を入れて、細き孔をあけたらむ