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事今こゝにきたれりとたしかに知らざればなり。

資季大納言入道とかやきこえける人、具氏宰相中將に逢ひて、「わぬしの問はれむほどのこと、なに事なりとも答へ申さゞらむや」といはれければ、具氏「いかゞ侍らむ」と申されけるを「さらばあらがひ給へ」といはれて、「はかばかしき事は片はしもまねび知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、おぼつかなき事こそ問ひ奉らめ」と申されけり。「ましてこゝもとの淺きことは、何事なりともあきらめ申さむ」といはれければ、近習の人々、女房なども「興あるあらがひなり。同じくは御前にて諍はるべし。負けたらむ人は供御を饗けらるべし」と定めて、御前にてめしあはせられたりけるに、具氏「幼くより聞きならひ侍れど、その心しらぬことはべり。馬のきつりやうきつにのをか、なかくぼれいりくれんどうと申すことは、いかなるこゝろにか侍らむ、うけたまはらむ」と申されけるに、大納言入道はたとつまりて、「これはそゞろごとなれば、いふにも足らず」といはれけるを、「もとより深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉らむと、定め申しつ」と申されければ、大納言入道まけになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。

醫師のあつしげ、故法皇の御前にさぶらひて、供御のまゐりけるに、「今まゐり侍る供御のいろいろを、文字も功能もたづね下されて、そらに申しはべらば、本草に御覽じあはせられ侍れかし。一つも申し誤り侍らじ」と申しける。時しも六條の故內府まゐり給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らむ」とて「まづしほといふ文字は、いづれの偏にか侍らむ」と問はれたりける