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をながしけり。法師かへりて後、聽聞の人ども、「いつよりも殊に今日はたふとくおぼえ侍りつる」と感じあへりし返事に、あるものゝいふ「何とも候へ。あれほど唐の狗に似候ひなむうへは」といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。さる導師のほめやうやはあるべき。「また人に酒勸むるとて、おのれまづたべて人に强ひ奉らむとするは、劔にて人を斬らむとするに似たることなり。二方にはつきたるものなれば、もたぐる時まづ我が頭を斬るゆゑに人をばえきらぬなり。おのれまず醉ひて臥しなば、人はよもめさじ」と申しき。劔にて斬りこゝろみたりけるにや、いとをかしかりけり。

「ばくちの負きはまりて、のこりなくうち入れむとせむに、あひてはうつべからず。立ちかへりつゞけて勝つべき時のいたれるを知るべし。その時を知るをよきばくちといふなり」と、あるもの申しき。

あらためて益なきことは、改めぬをよしとするなり。

雅房大納言は、才かしこくよき人にて、大將にもなさばやとおぼしける頃、院の近習なる人「唯今あさましきことを見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿鷹にかはむとて、生きたる犬の足をきり侍りつるを、中垣の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましくにくゝおぼしめして、日ごろの御氣色もたがひ、昇進もし給ざりけり。さばかりの人、鷹をもたれたりけるは思はずなれど、犬の足はあとなきことなり。そらごとは不便なれども、かゝることをきかせ給ひてにくませ給ひける君の御心はいとたふとき事なり。