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執ふかく、佛道をねがふに似て、鬪諍を事とす。放逸無慚のありさまなれども、死をかろくして、少しもなづまざるかたのいさぎよく覺えて、人の語りしまゝに書きつけはんべるなり。

寺院の號、さらぬよろづの物にも名をつくること、昔の人はすこしも求めず、たゞありのまゝに安くつけゝるなり。このごろはふかく案じ、才覺をあらはさむとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。人の名も、めなれぬ文字をつかむとする益なき事なり。何事もめづらしき事をもとめ、異說を好むは淺才の人の必あることなりとぞ。

友とするにわろきもの七つあり。一には高くやんごとなき人、二には若き人、三には病なく身つよき人、四には洒をこのむ人、五には武く勇める兵、六にはそらごとする人、七には欲ふかき人。善き友三つあり、一にはものくるゝ友、二にはくすし、三には智惠ある友。

鯉のあつもの食ひたる日には、鬢そゝけずとなむ。膠にもつくるものなれば、ねばりたるものにこそ。鯉ばかりこそ、御前にてもきらるゝものなれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉さうなきものなり。雉松茸などは、御湯殿の上にかゝりたるも苦しからず。その外は心うきことなり。中宮〈後深草院の〉の御方の、御湯殿の上のくろみ棚に雁の見えつるを、北山入道殿〈實氏〉の御覽じて、歸らせたまひて、やがて御文にて、「かやうのものさながらそのすがたにて、御棚にゐて候ひしこと、見ならはず、さま惡しきことなり。はかばかしき人のさふらはぬ故にこそ」など申されたりけり。

鎌倉の海にかつをといふ魚は、かの境にはさうなきものにて、この頃もてなすものなり。そ