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今出川のおほい殿〈兼季〉、嵯峨ヘおはしけるに、ありす川のわたりに水の流れたる所にて、さい王丸御牛を追ひたりければ、あがきの水前板までざゞとかゝりけるを、爲則御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かゝる所にて御牛をばおふものか」といひたりければ、おほい殿御けしきあしくなりて、「おのれ車やらむこと、さい王丸にまさりてえしらじ。希有の男なり」とて御車にかしらをうちあてられにけり。この高名のさいわう丸は、太秦殿〈信淸〉の男、料の御牛飼ぞかし。この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人はひざさち、一人はことづち、一人ははうはら、一人はおとうしとつけられけり。

宿河原といふ所にて、ぼろぼろおほく聚りて、九品の念佛を申しけるに、外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中にいろをし坊と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをしこゝに候ふ。かくのたまふはたぞ」と答ふれば、「しら梵字と申すものなり。おのれが師なにがしと申しゝ人、東國にていろをしと申すぼろにころされけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、うらみ申さばやと思ひて尋ね申すなり」といふ。いろをし「ゆゝしくも尋ねおはしたり、さること侍りき。こゝにて對面したてまつらば、道塲をけがし侍るべし。前の河原へまゐりあはむ。あなかしこ。わきざしたち、いづかたをもみつぎ給ふな。あまたのわづらひにならば、佛事のさまたげに侍るべし」といひ定めて、二人河原に出であひて、心ゆくばかりにつらぬきあひて、ともに死にけり。ぼろぼろといふもの昔はなかりけるにや。近き世に、梵論字、梵字、漢字などいひけるもの、そのはじめなりけるとかや。世をすてたるに似て、我