Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/312

このページは校正済みです

かたのみ何事をかいとなまむ。我等がいけるけふの日、なんぞその時節にことならむ。一日のうちに飮食、便利、睡眠、言語、行步、止むことを得ずして多くのときを失ふ。そのあまりのいとま、いくばくならぬうちに無益の事をなし、無益のことをいひ、無益のことを思惟して、時をうつすのみならず、日を消し月をわたりて、一生をおくる尤愚なり。謝靈運は法華の筆受なりしかども、心常に風雲のおもひを觀ぜしかば、惠遠白蓮のまじはりをゆるさゞりき。しばらくもこれなき時は、死人におなじ。光陰何のために惜むとならば、內に思慮なく、外に世事なくして、止まむ人はやめ、修せむ人は修せよとなり。

高名の木のぼりといひし男、人をおきてゝ高き木にのぼせて、梢をきらせしに、いとあやふく見えしほどはいふこともなくて、おるゝ時に軒だけばかりになりて、「あやまちすな。心しておりよ」とことばをかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛びおるゝともおりなむ、いかにかくいふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候ふ。目くるめき、枝あやふきほどは、おのれがおそれ侍れば申さず。あやまちはやすき所になりて、必仕ることに候ふ」といふ。あやしき下臈なれども、聖人のいましめにかなへり。鞠もかたき所を蹴出して、後やすくおもへば、必おつると侍るやらむ。

雙六の上手といひし人に、そのてだてを問ひ侍りしかば、「勝たむとうつべからず、負けじとうつべきなり。いづれの手がとくまけぬべきと案じて、その手をつかはずして、一めなりとも、遲くまくべき手につくべし」といふ。道を知れるをしへ、身ををさめ國を保たむ道もまた