Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/311

このページは校正済みです

ならぬ身むつかし」などさだめあはれけり。すべて男をば、女に笑はれぬやうにおふしたつべしとぞ。淨土寺の前關白殿〈師敎〉はをさなくて、安喜門院〈有子〉のよく敎へまゐらせさせ給ひけるゆゑに、御詞などのよきぞと人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿〈實雄〉はあやしの下女の見奉るも、いとはづかしく心遣ひせらるゝとこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣紋も冠もいかにもあれ、ひきつくろふ人も待らじ。かく人にはぢらるゝ女、いかばかりいみじきものぞと思ふに女の性はみなひがめり。人我の相ふかく、貪欲はなはだしく、物の理を知らず、たゞまよひの方に心もはやくうつり、詞もたくみに、苦しからぬ事をも問ふときはいはず。用意あるかと見れば、又あさましき事までとはず語りにいひ出す。深くたばかりかざれることは男の智慧にもまさりたるかと思へば、その事あとより顯はるゝを知らず、すなほならずして拙きものは女なり。その心にしたがひてよく思はれむことは、心うかるべし。されば何かは女のはづかしからむ。もし賢女あらば、それも物うとくすさまじかりなむ。たゞ迷をあるじとして、かれにしたがふとき、やさしくもおもしろくも覺ゆべきことなり。

寸陰をしむ人なし。これよく知れるか、おろかなるか。愚にして怠る人のためにいはゞ、一錢かろしといへども、これをかさぬれば貧しき人を富める人となす。されば商人の一錢ををしむ心切なり。刹那おばえずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期忽にきたる。されば道人は、遠く日月を惜むべからず。唯今の一念空しくすぐることを惜むべし。もし人きたりて、「我が命明日は必ず失はるべし」と吿げ知らせたらむに、今日の暮るゝ間、何事を