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堀川の相國〈基具〉は、美男のたのしき人にて、その事となく過差を好みたまひけり。御子基俊卿を大理になして、廳務を行はれけるに、廳屋の唐櫃見ぐるしとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は上古よりつたはりて、そのはじめを知らず、數百年を經たり。累代の公物、古弊をもつて規模とす。たやすく改められがたきよし、故實の諸官等申しければ、その事やみにけり。

久找の相國〈雅實〉は、殿上にて水をめしけるに、主殿司土器をたてまつりければ、「まがりをまゐらせよ」とてまがりしてぞめしける。

ある人任大臣の節會の內辨をつとめられけるに、內記のもちたる宣命をとらずして、堂上せられにけり。きはまりなき失禮なれども、たちかへりとるべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位の內〈外イ〉記康綱、きぬかづきの女房をかたらひて、かの宣命をもたせて、しのびやかに奉らせけり。いみじかりけり。

尹大納言光忠入道、追儺の上卿をつとめられけるに、洞院左〈右イ〉大臣殿〈實泰〉に次第を申し請けられければ、「又五郞男を師とするより外の才覺候はじ」とぞのたまひける。かの又五郞は老いたる衞士のよく公事に馴れたるものにてぞありける。近衞殿着陣したまひける時、ひざつきをわすれて外記をめされければ、火たきて候ひけるが、「まづひざつきをめさるべくや候ふらむ」と忍びやかにつぶやきける、いとをかしかりけり。

大覺寺殿〈後宇多院〉にて、近習の人どもなぞなぞをつくりてとかれけるところへ、くすし忠守參りた