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蟻の如くにあつまりて、東西にいそぎ南北にはしる。たかきありいやしきあり。老いたるあり若きあり。行く所あり歸る家あり。夕にいねて朝に起く、いとなむ所何事ぞや。生を貪り利をもとめてやむときなし。身を養ひて何事をか待つ、期するところたゞ老と死とにあり。そのきたることすみやかにして、念々の間にとゞまらず。これを待つ間、何のたのしみかあらむ。まどへるものはこれを恐れず、名利におぼれて先途の近きことをかへりみねばなり。愚なる人はまたこれをかなしぶ、常住ならむことを思ひて變化の理を知らねばなり。

つれづれわぶる人は、いかなる心ならむ、まぎるゝ方なく、たゞ一人あるのみこそよけれ。世にしたがへば心外の塵にうばゝれてまどひ易く、人にまじはればことばよその聞にしたがひてさながら心にあらず。人にたはぶれ物にあらそひ、一度はうらみ一度はよろこぶ、そのことさだまれることなし。分別みだりに起りて得失やむときなし。まどひの上にゑへり。醉のうちに夢をなす。はしりていそがはしく、ほれて忘れたること、人皆かくのごとし。いまだまことの道を知らずとも、緣を離れて身を閑にし、事にあづからずして心を安くせむこそ暫くたのしむともいひつべけれ。「生活、人事、伎能、學問等の諸緣をやめよ」とこそ摩訶止觀にもはべれ。

世のおぼえ華やかなるあたりに、なげきもよろこびもありて人おほくゆきとぶらふ中に、聖法師のまじりて、いひ入れたゝずみたるこそさらずとも見ゆれ。さるべきゆゑありとも、法師は人にうとくてありなむ。