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のなり」とぞある人おほせられし。

「このごろの冠は、昔よりは遙に高くなりたるなり」とぞある人おほせられし。古代の冠桶を持ちたる人は、はたをつぎて今用ふるなり。

岡本關白殿〈家平〉さかりなる紅梅の枝に鳥一雙をそへて、この枝につけて參らすべきよし、御鷹飼下毛野の武勝に仰せられたりけるに、「花に鳥つくるすべ知り候はず、一枝に二つつくることも存じ候はず」と申しければ、膳部に尋ねられ、人々にとはせ給ひて、また武勝に、「さらば己が思はむやうにつけてまゐらせよ」と仰せられたりければ、花もなき梅の朶に、一つをつけて參らせけり。武勝がまうし侍りしは、「柴の枝、梅の枝、つぼみたると、散りたるとにつく。五葉などにもつく。枝の長さ七尺、或は六尺、かへし刀五分に切る。枝のなかばに鳥をつく。つくる枝ふまする枝あり。しじら藤のわらぬにて二所つくべし。藤のさきは、火うち羽のたけにくらべて切りて、牛の角のやうにたわむべし。初雪のあした枝を肩にかけて、中門よりふるまひてまゐる。大みぎりの石をつたひて、雪にあとをつけず、雨おほひの毛を少しかなぐりちらして、二棟の御所の高欄によせかく。錄をいださるれば、肩にかけて拜してしりぞく。初雪といへども、沓のはなのかくれぬほどの雪にはまゐらず。あまおほひの毛をちらすことは、鷹はよわごしをとることなれば、御鷹のとりたるよしなるべし」と申しき。花に鳥つけずとは、いかなる故にかありけむ。長月ばかりに、梅のつくり枝に雉をつけて、「君がためにとをる花は時しもわかぬ」といへること、伊勢物語に見えたり。作り花はくるしからぬ