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身を助けむとすれば、耻をもかへりみず、たからをも捨てゝのがれ去るぞかし。命は人を待つものかは、無常の來ることは、水火のせむるよりもすみやかにのがれがたきものを、その時老いたる親、いときなき子、君の恩、人のなさけ、すてがたしとて捨てさらむや。

眞乘院〈仁和寺坊〉に盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。いもがしらといふものをこのみて多くくひけり。談義の座にても、大なる鉢にうづだかくもりて、膝下におきつゝ、くひながら文をも讀みけり。煩ふことあるには、七日二七日など療治とてこもり居て、おもふやうによきいもがしらをえらびて、ことに多くくひて、萬の病をいやしけり。人にくはすることなし。たゞ一人のみぞくひける。きはめて貧しかりけるに、師匠死にざまに、錢二百貫と坊ひとつをゆづりたりけるを、坊を百貫に賣りて、かれこれ三萬疋を芋がしらのあしとさだめて、京なる人にあづけおきて、十貫づゝとりよせて、芋魁をともしからずめしけるほどに、またことようにも用ふる事なくて、そのあしみなになりにけり。「三百貫のものをまづしき身にまうけて、かくはからひける誠にありがたき道心者なり」とぞ人申しける。この僧都、ある法師を見て、しろうるりといふ名をつけたりけり。「とは、何ものぞ」と人のとひければ、「さるものを我も知らず。もしあらましかば、この僧の顏に似てむ」とぞいひける。この僧都みめよく力つよく、大食にて、能書、學匠、辯說、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にもおもくおもはれたりけれども、世をかろく思ひたるくせものにて、よろづ自由にして大かた人にしたがふといふことなし。出仕して饗膳などにつくときも、皆人の前すゑわたすを待たず、我が前にす