Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/286

このページは校正済みです

あやしの竹のあみ戶のうちより、いとわかき男の、月かげに色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣に、こき指貫いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童一人をぐして、遙なる田の中の細道を、稻葉のつゆにそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたるあはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、山のきはに總門のあるうちに入りぬ。榻にたてたる車の見ゆるも、都よりは目とまるこゝちして、下人にとへば、「しかじかの宮のおはしますころにて、御佛事などさふらふにや」といふ。御堂のかたに法師ども參りたり。夜さむの風にさそはれくる、そらだき物の匂も身にしむこゝちす。寢殿より廊にかよふ、女房の追ひ風よういなど、人めなき山里ともいはず心づかひしたり。心のまゝにしげれる秋の野らに、おきあまる露にうづもれて、蟲の音かごとがましく、遣り水の音のどやかなり。都の空よりは雲のゆきゝもはやき心ちして、月の晴れくもること定めがたし。

公世の二位のせうとに良覺僧正ときこえしは、きはめて腹あしき人なりけり。坊の傍に大なるえの木のありければ、人、榎の僧正とぞいひける。「この名しかるべからず」とてかの木をきられにけり。その根のありければ、きりぐひの僧正といひけり。いよいよはらだちて、きりぐひをほりすてたりければ、その跡大なる堀にてありければ、堀池僧正といひける。

柳原の邊に、强盜法印と號する僧ありけり。たびたび强盜にあひたるゆゑに、この名をつけにけるとぞ。