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人のなきあとばかり悲しきはなし。中陰のほど、山里などにうつろひて、便あしくせばき所にあまたあひ居て、後のわざどもいとなみあへる心あわたゞし。日かずのはやく過ぐるほどぞものにも似ぬ。はての日はいとなさけなう互にいふ事もなく、我かしこげにものひきしたゝめちりぢりに行きあがれぬ。もとのすみかにかへりてぞ更に悲しきことはおほかるべき。「しかじかの事は、あなかしこ。跡のため忌むなることぞ」などいへるこそかばかりの中に何かはと人の心はなほうたておぼゆれ。年月經てもつゆ忘るゝにはあらねど、さるものは日々に疎しといへることなれば、さはいへど、そのきはばかりは覺えぬにや。よしなしごといひてうちも笑ひぬ。からはけうとき山の中にをさめてさるべき日ばかりまうでつゝ見れば、ほどなく卒都婆も苔むし、木の葉ふりうづみて、夕の嵐、夜の月のみぞことゝふよすがなりける。思ひ出でゝ忍ぶ人あらむほどこそあらめ、そもまたほどなくうせて、聞き傅ふるばかりの末々はあはれとやは思ふ。さるはあととふわざも絕えぬれば、いづれの人と名をだに知らず。年々の春の草のみぞ心あらむ人はあはれと見るべきを、はては嵐にむせびし松も、千とせを待たで薪にくだかれ、ふるき墳はすかれて田となりぬ。そのかたゞになくなりぬるぞかなしき。

雪のおもしろうふりたりしあした、人のがりいふべき事ありて、文をやるとて、雪のことは何ともいはざりし返り事に、「この雪いかゞ見ると、一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからむ人の、仰せらるゝ事聞き入るべきかは。かへすがへす口をしき御心なり」といひたりし|