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いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそめさむるこゝちすれ。そのわたりこゝかしこ見ありき、ゐなかびたる所、山里などは、いと目なれぬことのみぞおほかる。都へたよりもとめて文やる、「その事かの事便宜にわするな」などいひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそよろづに心づかひせらるれ。持てる調度までよきはよく、能ある人かたちよき人も常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺社などに忍びてこもりたるもをかし。

神樂こそなまめかしくおもしろけれ。大かたものゝ音には笛、篳篥、つねに聞きたきは琵琶、和琴。

山寺にかきこもりて、佛につかうまつるこそつれづれもなく、心のにごりもきよまるこゝちすれ。

人はおのれをつゞまやかにし、驕を退けて財をもたず、世をむさぼらざらむぞいみじかるべき。昔よりかしこき人のとめるは稀なり。もろこしに許由といひつる人は、更に身にしたがへるたくはえもなくて、水をも手してさゝげて、飮みけるを見て、なりひさごといふものを人の得させたりければ、ある時木の枝にかけたりければ、風にふかれてなりけるを、かしがましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飮みける。いかばかり心のうち凉しかりけむ。孫晨は冬月にふすまなくて、藁一束ありけるを、夕にはこれにふし、朝にはをさめけり。もろこしの人は、これをいみじと思へばこそしるしとゞめて世にも傳へけめ。これらの人はかたりも傳ふべからず。