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事どもを見きくにも、心とまらずしもは無けれども、文にもくらく武にもかけて、つひにすみはつべきよすがもなき數ならぬ身なれば、日をふるまゝにはたゞ都のみぞこひしき。歸るべき程と思ひしも、空しく過ぎゆきて、秋より冬にもなりぬ。蘇武が漢を別れし十九年の旅の愁、李陵が胡に入りし三千里の道の思ひ、身にしらるゝ心ちす。聞きなれし蟲の音も、やゝよわりはてゝ、松吹く峰の嵐のみぞいとゞはげしくなりまされる。懷古のこゝろに催されてつくづくと都の方をながめやる折しも、一行の雁がね空に消え行くも哀なり。

 「歸るべき春をたのむの雁がねもなきてや旅の空にいでにし」。

かゝる程に、神無月の二十日あまりの頃、はからざるにとみの事ありて、都へかへるべきになりぬ。其の心の中、水莖のあとにもかきながしがたし。錦をきる境は、もとより望む處にあらねども、故鄕にかへる喜は朱買臣にあひにたる心ちす。

 「故鄕にかへる山ぢの木がらしに思はぬ外の錦をやきむ」。

十月二十三日の曉、すでに鎌倉を立ちて、都へ赴くに、宿の障子にかきつく。

 「なれぬれば都を急ぐ今朝なれどさすが名殘のをしき宿かな」。