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にもまさりたり。
「見渡せば千本の松の末とほみみどりにつゞく波の上かな」。
車返しと云ふ里あり。或る家に宿りたれば、網つりなどいとなむ賎しきものゝすみかにや。夜のやどりありかことにして、床のさむしろもかけるばかりなり。かの縛戎人の夜はの旅ね〈引樂天詩〉も、かくやありけむとおぼゆ。
「これぞこの釣するあまの苫庇いとふありかや袖に殘らむ」。
伊豆の國府に至りぬれば、三島の社の御しめうちをがみ奉るに、松の嵐木ぐらく音づれて、庭の景色も神さびわたれり。此の社は、伊豫の國三島大明神をうつし奉るときくにも、能因入道伊豫守實綱が命によりて、歌よみ奉りけるに、炎旱の天より、あめにはかにふりて枯れたる稻葉も忽に綠にかへりける、あら人神の御名ごりなれば、ゆふだすきかけまくも畏くおぼゆ。
「せきかけし苗代水の流れきて又天下る神ぞこの神」。
かぎりある道なれば、この砌をも立ち出でゝ、猶ゆきすぐる程に、筥根の山にもつきにけり。岩がねに高く重なりて、駒もなづむばかりなり。山の中に至りて水うみ廣くたゞへり。箱根の湖となづく。又蘆の海といふもあり。權現垂跡のもとゐ、氣高く尊し。朱樓紫殿の雲に重れる粧、唐家驪山宮かと驚かれ、巖室石龕の波にのぞめる影、錢塘の水心寺ともいひつべし。うれしき便なれば、「うき身のゆくへしるべせさせ給へ」など祈りて、法施奉るついでに、