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遣しける、此の關に至りてとゞまりけるが、淸原滋藤といふ者、民部卿に伴ひて、軍監と云ふつかさにて行きけるが、「漁舟の火のかげは寒くして浪を燒き、驛路の鈴の聲はよる山を過ぐ」といふ唐の歌を詠じければ、民部卿泪を流しけると聞くにもあはれなり。

 「淸見潟關とはしらでゆく人も心ばかりはとゞめおくらむ」。

この關とほからぬ程に、興津といふ浦あり。海に向ひたる家に宿りて侍れば、いそべによする波の音も、身の上にかゝるやうにおぼえて、夜もすがらいねられず。

 「おきつ〈きよみイ〉潟いそべに近きいは〈たびイ〉枕かけぬ浪にも袖はぬれけり」。

こよひは更にまどろむ間だになかりつる、草の枕のまろぶしなれば、寢覺ともなき曉の空に出でぬ。くきが崎と云ふなるあら磯の、岩のはざまをゆき過ぐる程に、沖つ風烈しきに打ちよする波もひまなければ、いそぐ鹽干のつたひ道、かひなき心ちして、「ほすまもなき袖の雫までは、かけても思はざりし旅の空ぞかし」などうち詠められつゝ、いと心ぼそし。

 「沖つ風けさあら磯の岩づたひ浪わけ衣ぬれぬれぞゆく」。

神原といふ宿の前をうちとほる程に、おくれたる者まちつけむとて、ある家に立ち入りたるに、障子に物を書きたるをみれば、「旅衣すそのゝ庵のさむしろにつもるもしるきふじの白雪」といふ歌なり。心ありける旅人のしわざにやあるらむ。昔香爐峯の麓に庵をしむる隱士あり〈白樂天之故事〉。冬の朝簾をあげて、峯の雪を望みけり。今富士の山のあたりに、宿をかる行客あり。さゆる夜衣をかたしきて、山の雪を思へる、彼も是もともに心すみておぼゆ。