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 「これぞこのたのむ木のもと岡べなる松の嵐よ心して吹け」。

宇都の山を越ゆれば蔦かへでは茂りて昔の跡たえず。かの業平が、す行者にことづてしけむ程も、いづくなるらむと見ゆく程に、道のほとりに札を立てたるをみれば、無緣の世すて人あるよしをかけり。道より近きあたりなれば、少しうち入りてみるに、僅なる草の庵のうちに一人の僧あり。畫像の阿彌陀佛をかけ奉りて淨土の法もんなどをかけり。其の外にさらに見ゆるものなし。發心のはじめを尋ねきけば、「身はもとこの國のものなり。さして思ひ入りたる道心も侍らぬ上、其の身堪へたる方なければ、理を觀ずるに心くらく、佛を念ずるに性ものうし。難行苦行の二道ともにかけたりといへども、山の中に眠れるは、里にありて勤めたるにまされるよし、ある人の敎につきて、此の山に庵を結びつゝ、數多の年月を送る」よしをこたふ。むかし叔齋が首陽の雲に入りて、猶三春の蕨をとり、許由が頴水の月にすみし、おのづから一瓢の器をかけたりといへり。此の庵のあたりには、殊更煙立てたるよすがもみえず。柴折りくぶる慰めまでも、思ひたえたるさまなり。身を孤山の嵐の底にやどして、心を淨域の雲の外にすませる、いはねどしるくみえて、中々にあはれに心にくし。

 「世を厭ふ心の奧やにごらましかゝる山邊のすまひならでは」。

此の庵のあたり幾程遠からず、峠といふ所に至りて、おほきなる卒都婆の年經にけると見ゆるに、歌どもあまた書きつけたる中に、「東路はこゝをせにせむ宇都の山哀もふかし蔦の下路」とよめる、心とまりておぼゆれば、その傍にかきつけし、