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 「たのもしな入江に立てるみをつくし深きしるしのありと聞くにも」。

天龍と名づけたるわたりあり。川ふかく流激しくみゆ。秋の水みなぎり來て、舟の去る事速なれば、往還の旅人たやすくむかひの岸につき難し。此の河水まされる時、舟などもおのづから覆りて、底の水屑となるたぐひ多かりと聞くこそ彼の巫峽の水の流〈引白氏文集〉おもひよせられていと危き心ちすれ。しかはあれども、人の心に比ぶれば、靜なる流ぞかしと思ふにも、たとふべき方なきは、世にふる道のけはしき習なり。

 「この河の早き流も世の中の人の心のたぐひとは見ず」。

遠江の國府いまの浦につきぬ。爰に宿かりて、一日二日留まりたる程、あまの小舟に棹さしつゝ、浦の有樣見巡れば、しほ海、湖の間に、洲崎遠く隔たりて、南には極浦の波袖を濕し、北には長松の嵐心をいたましむ〈引朗詠〉。名殘多かりし橋本の宿にぞ相似たる。昨日のめうつりなからずば、これも心とまらずしもあらざらましなどはおぼえて、

 「浪の音も松の嵐もいまの浦に昨日の里の名殘をぞきく」。

ことのまゝときこゆる社おはします。その御前をすぐとて、聊おもひつゞけられし。

 「ゆふだすきかけてぞたのむ今思ふことのまゝなる神のしるしを」。

小夜の中山は、古今集の歌に「よこほりふせる」とよまれたれば、名高き名所なりと聞きおきたれどもみるにいよいよ心細し。北は深山にて、松杉嵐烈しく、南は野山にて、秋の花露しげし。谷より嶺に移る道、雲に分け入る心ちして、鹿のね淚を催し、蟲の恨あはれふかし。