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じとこそおぼゆれ。

 「植ゑおきし主なき跡の柳原猶そのかげを人やたのまむ」。

豐河といふ宿の前をうち過ぐるに、あるものゝいふをきけば、「此の道をば昔よりよくる方なかりし程に、近比より、俄にわたふ津の今道といふ方に、旅人多くかゝる間、今はその宿は人の家居をさへ外にのみうつす」などぞいふなる。ふるきをすてゝ新しきにつく習、定まれることゝいひながら、いかなる故ならむと覺束なし。昔より住みつきたる里人の、今更ゐうかれむこそかの伏見の里ならねども、あれまく惜しくおぼゆれ。

 「覺束ないざ豐河のかはるせをいかなる人の渡りそめけむ」。

參河遠江のさかひに、高師の山と聞ゆるあり。山中に越えかゝる程に、谷川の流れ落ちて、岩瀨の波ことごとしくきこゆ。境川とぞいふ。

 「岩づたひ駒うちわたす谷川の音もたかしの山に來にけり」。

橋本といふ所に行きつきぬれば、きゝわたりしかひありて、氣色いと心すごし。南には潮海あり。漁舟波に浮ぶ。北には湖水あり。人家岸に列なれり。其の間に洲崎遠くさし出でゝ、松きびしく生ひつゞき、嵐しきりにむせぶ。松の響、波の音いづれと聞きわきがたし。行く人心をいたましめ、とまるたぐひ夢をさまさずといふことなし。みづうみに渡せる橋を濱名と名づく。ふるき名所なり。朝立つ雲の名殘、いづくよりも心細し。

 「行きとまる旅ねはいつもかはらねどわきて濱名の橋ぞすぎうき」。