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とある哥を見るに、旅のそらを思ひおこせてよまれたるにこそはと、心をやりてあはれなれば、その歌のかたはらに、もじちひさく返り事をぞかきそへてやる。

 「戀ひしのぶこゝろやたぐふあさ夕にゆきてはかへるをちのしら雲」。

又おなじたびの題にて、

 「かりそめの草のまくらのよなよなを思ひやるにも袖ぞつゆけき」

とある所にも、又かへりごとをぞかきそへたる、

 「秋ふかき草のまくらに我ぞなくふりすてゝこしすゞむしのねを」。

又この五十首の歌のおくに、ことばをかきそふ。おほかた歌のさまなどしるしつけて、おくに昔の人〈爲家〉の歌、

 「これを見ばいかばかりかと思ひつる人にかはりてねこそなかるれ」

と書きつく。侍從の弟爲守の君のもとよりも、三十首の歌をおくりて、「これにてんあひて、わろからむ事をこまかにしるしたべ」といはれたり。ことしは十六ぞかし。歌のくちなれば、やさしくおぼゆるも、かへすがへす心のやみと、かたはらいたくなむ。これも旅の歌には、こなたを思ひてよみたりけりと見ゆ。下りしほどの日記を、この人々のもとへつかはしたりしを、よまれたりけるなめり。

 「立ち別れ富士のけぶりを見てもなほ心ぼそさのいかにそひけむ」。

又これも返しをかきつく、