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權中納言〈爲敎女〉の君は、まぎるゝことなく歌をよみたまふ人なれば、このほど手ならひにしたる歌ども、かき集めてたてまつる。海近き所なれば、貝などひろふ折も、「なぐさの濱ならねば、猶なき心ちして」など書きて、

 「いかにしてしばし都をわすれ貝なみのひまなくわれぞくだくる。

  知らざりしうらやま風も梅が香はみやこに似たる春のあけぼの。

  はなぐもりながめてわたる浦風にかすみたゞよふはるの夜の月。

  あづまぢの磯やま風のたえまよりなみさへ花のおもかげにたつ。

  みやこ人おもひも出でばあづまぢの花やいかにと音づれてまし」

など、たゞふでにまかせて思ふまゝに、いそぎたるつかひとて、書きさすやうなりしを、又ほどへず返り事し給へり。日ごろのおぼつかなさも、この文にかすみはれぬる心ちして」などあり。

 「賴むぞよしほひにひろふうつせ貝かひある浪の立ちかへる世を。

  くらべ見よ霞のうちのはるの月晴れぬこゝろはおなじながめを。

  しら浪のいろもひとつにちる花を思ひやるさへおもかげにたつ。

  あづまぢのさくらを見ても忘れずばみやこの花を人やとはまし」。

やよひの末つかた、わかわかしきわらはやみにや、日まぜにおこること、二たびになりぬ。あやしうしをれはてたるこゝちしながら、三たびになるべきあかつきより起きゐて、佛のおま