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「いたづらにめかりしほやくすさびにも戀しやなれし里のあま人」。
ほど經て、このおとゞひふたりのかへりごと、いとあはれにて見れば、姉君、
「たまづさを見るに淚のかゝるかないそこす風はきくこゝちして」。
この姉君は、中のゐんの中將ときこえし人のうへなり。今は三位入道とか。おなじ世ながら遠ざかりはてゝ、おこなひゐたる人なり。そのおとうとの君も、「めかりしほやく」とある返り事、さまざまにかきつけて、「人こふる淚のうみはみやこにも枕の下にたゝへて」などやさしく書きて、
「もろともにめかり鹽やく浦ならばなかなか袖になみはかけじを」。
この人も安嘉門院にさぶらひしなり。つゝましくすることゞもを、思ひつらねて書きたるも、いとあはれにもをかし。ほどなく年くれて、春にもなりにけり。かすみこめたるながめのたどたどしさ、谷の戸はとなりなれども鶯のはつねだにもおとづれこず。思ひなれにし春の空は忍びがたく、昔の戀しきほどにしも、又都のたよりありとつげたる人あれば、れいのところどころへの文かく中に、いざよふ月とおとづれ給へりし人の御もとへ、
「おぼろなる月はみやこの空ながらまだ聞かざりしなみのよるよる〈よなよなイ〉」
などそこはかとなき事どもをかききこえたりしを、たしかなる所よりつたはりて、御かへりごとをいたうほども經ず、待ち見たてまつる。
「ねられじな都の月を身にそへてなれぬまくらのなみのよるよる〈よなよなイ〉」。