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さきのうひやうゑのかみ〈爲敎〉の御むすめ、哥よむ人にて、勅撰にもたびたび入りたまへり。大宮院〈姞子〉の權中納言と聞ゆる人、歌の事ゆゑ朝夕まうしなれしかばにや、道のほどのおぼつかなさなどおとづれ給へる文に、

 「はるばると思ひこそやれたび衣なみだしぐるゝほどやいかにと」。

かへりごとに、

 「おもひやれ露もしぐれもひとつにて山路わけこし袖のしづくを」。

このせうとのためかぬの君も、おなじさまに、おぼつかなさなど書きて、

 「ふるさとはしぐれに立ちしたびごろも雪にやいとゞさえまさるらむ」。

かへし、

 「たびごろもうら風さえてかみな月しぐるゝ雲〈空イ〉にゆきぞ降りそふ」。

式乾門院〈利子〉のみくしげどのと聞ゆるは、こがの大政大臣〈通光〉の御むすめ、これも續後撰よりうちつゞき、二たび三たびの家々のうちぎゝにも、歌あまた入り給へる人なれば、御名もかくれなくこそ。今は安嘉門院〈邦子〉に御かたとてさぶらひ給ふ。あづまぢおもひ立ちしあすとて、まかりまうしのよしに、北白河どのへ參りしかど、見えさせ給はざりしかば、「こよひばかりのいでたち、物さわがしくて、かくとだに聞えあへず、いそぎ出でしにも心にかゝり給ひ〈二字イ無〉て、おとづれきこゆ。草の枕ながら年さへくれぬる心ぼそさ、雪のひまなさ」などかきあつめて、

 「消えかへりながむる空もかきくれてほどは雲ゐぞ雪になりゆく」