Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/168

このページは校正済みです

とぞ言はまほしき。伊豆の國府といふ所にとゞまる。いまだ夕日のこるほど、みしまの明神へ參るとて、よみて奉る、

 「あはれとや三島の神の宮ばしらたゞこゝにしもめぐりきにけり。

  おのづからつたへしあともあるものを神は知るらむしき島の道。

  尋ねきてわが越えかゝる筥根路を山のかひあるしるべとぞ思ふ」。

廿八日、伊豆のこふを出でゝ、はこねぢにかゝる。いまだ夜深かりければ、

 「たまくしげはこねの山をいそげどもなほ明けがたきよこ雲のそら」。

あしがら山は道遠しとて、箱根路にかゝるなりけり。

 「ゆかしさよそなたの雲をそばたてゝよそになしぬるあしがらの山」。

いとさかしき山をくだる。人の足もとゞまりがたし。湯坂とぞいふなるからうじてこえはてたれば、又ふもとにはやかはといふ河あり、まことにはやし。木のおほく流るゝを、「いかに」ととへば、「あまのもしほ木を、浦へ出さむとて流すなり」といふ。

 「あづまぢの湯坂を越えて見わたせばしほ木ながるゝ早川のみづ」。

湯坂より浦にいでゝ、日暮れかゝるにとまるべきところ遠し。伊豆の大島まで見渡さるゝうみづらを、「いづことかいふ」ととへど、知りたる人もなし。あまの家のみぞある。

 「あまの住むその里の名もしらなみのよするなぎさにやどやからまし」。

まりこ河といふ河を、いと暗くてたどり渡る。こよひはさかはといふ所にとゞまる。あすは