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なりぬ。ひるつかた過ぎ行く道に、目に立つ社あり。人にとへば、「むすぶの神とぞきこゆる」といへば、

 「まもれたゞちぎりむすぶの神ならばとけぬうらみに我まよはさで」。

すのまたとかやいふ川には、舟をならべて、まさきのつなにやあらむ、かけとゞめたる浮橋あり。いとあやふけれど渡る。この川つゝみのかたはいと深くて、かたかたは淺ければ、

 「かたぶちのふかき心はありながら人めづゝみにさぞせかるらむ。

  かりの世のゆきゝと見るもはかなしや身をうき舟を〈のイ〉浮橋にして」

とぞ思ひつゞけゝる。また一の宮といふ社を過ぐとて、

 「一の宮名さへなつかしふたつなくみつなきのりをまもるなるべし」。

二十日、尾張の國おりとといふうまやを行く、よきぬ道なれば熱田の宮へまゐりて、硯とり出でゝ、書きつけて奉るうた、

 「いのるぞよ我がおもふことなるみがたかたひくしほも神のまにまに。

  鳴海がた和歌のうら風へだてずばおなじこゝろに神もうくらむ。

  みつしほのさしてぞ來つるなるみがた神やあはれとみるめたづねて。

  雨かぜも神のこゝろにまかすらむ我がゆくさきのさはりあらすな」。

なるみのかたを過ぐるに、しほひのほどなれば、さはりなくひかたを行く。をりしも、濱千鳥いと多くさき立ちて行くも、しるべがほなるこゝちして、