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と所うまれ給ふばかりにて、心づかひもまことしきさまにて、おとなしくおはすれば、宮の御かたの戀しさもかねて申しおくついでに、侍從大夫などのこと、はぐゝみおほすべきよしも〈もイ無〉、こまかに書きつけて、奧に、

 「君をこそ朝日とたのめふるさとにのこるなでしこ霜にからすな」

ときこえたれば、御かへりもこまやかに、いとあはれに書きて、歌のかへしには、

 「思ひおく心とゞめはふるさとのしもにも枯れじやまとなでしこ」

とぞある。いつゝの子〈慶融源承爲相爲守及女〉どもの歌、のこりなく書きつゞけぬるも、かつはいとをこがましけれど、親の心には、哀におぼゆるまゝに書き集めたり。さのみ心よわくてはいかゞとて、つれなく振りすてつ。粟田口といふ所より車はかへしつ。ほどなく逢坂の關こゆるほどに、

 「さだめなき命は知らぬたびなれどまたあふ坂とたのめてぞゆく」。

野路といふ所はこしかたゆくさき人も見えず。日は暮れかゝりて、いと物かなしと思ふに、時雨さへうちそゝぐ。

 「うちしぐれふるさと思ふ袖ぬれてゆくさきとほき野路のしの原」。

こよひは、鏡といふ所につくべしとさだめつれど、暮れはてゝ行きつかず、もり山〈近江〉といふ所にとゞまりぬ。こゝにも時雨なほしたひ來にけり、

 「いとゞなほ袖ぬらせとや宿りけむまなくしぐれのもる山にしも」。

今日は十六日の夜なりけり。いとくるしくて臥しぬ。いまだ月の光は、かすかに殘りたるあ