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なくけふまではながらふらむ。惜しからぬ身ひとつは、やすく思ひすつれども、子を思ふ心のやみはなほ忍びかたく、道をかへりみるうらみはやらむかたなく、さてもなほあづま〈鎌倉幕府〉の龜のかゞみにうつさば、くもらぬ影もやあらはるゝと、せめておもひあまりて、よろづのはゞかりを忘れ、身をやうなきものになしはてゝ、ゆくりもなく、いざよふ月にさそはれ出でなむとぞ思ひなりぬる。さりとて、文屋康秀がさそふにもあらず、住むべき國もとむるにもあらず、ころはみふゆたつはじめの、さだめなき空なれば、ふりみふらずみ時雨もたえず、あらしにきほふこの葉さへなみだとともに亂れ散りつゝ、事にふれて心ぼそく悲しけれど、人やりならぬ道なれば、いきうしとてもとゞまるべきにもあらで、何となく急ぎ立ちぬ。めかれせざりつるほどだに、荒れまさりつる庭もまがきも、ましてと見まはされて、したはしげなる人々の袖のしづくも、なぐさめかねたる中にも、侍從〈爲相〉、大夫〈爲守〉などのあながちにうちくつしたるさまいと心ぐるしければ、さまざま言ひこしらへ、ねやのうちを見れば、むかしの枕〈爲家の〉さへ、さながらかはらぬを見るにも、今更かなしくて、かたはらに書きつく、

 「とゞめおくふるき枕のちりをだにわが立ちさらばたれかはらはむ」。

よゝにかきおかれける歌のさうしどもの奧書して、あだならぬかぎりをえりしたゝめて、侍從のかたへ送るとて、書きそへたるうた、

 「和歌の浦にかきとゞめたるもしほぐさこれをむかしのかたみとも見よ。

  あなかしこよこ浪かくなはま千鳥ひとかたならぬあとをおもはゞ」。