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はれにいにしへ諸共にのみ時々はものせしものを、又やむことありし二三四日もこの頃のほどぞかし。宮仕も絕え籠りて、諸共にありしはなど思ふ。げに遙なる道すがら、淚もこぼれ行く。供人三人ばかり添ひていく。まづ僧坊におりゐて、見出したれば、前にませゆひわたして、また何とも知らぬ草ども繁き中にぼうたん草どもいと情なげにて、花散り果てゝ立てるを見るにも、萌ゆるうへはとよといふ事を、かへし覺えつゝいと悲し。湯などものして御道〈堂カ〉にと思ふ程に、里より心あわたゞしげにて人は〈思ふほど以下十八字流本無〉しり來たり。とまれる人の文あり。見れば「唯今殿〈兼家〉より御文もて、それがしなむ參りたりつる。さうして參り給ふ事あなり。かつかつ參りて、とゞめ聞えよ、唯今渡らせ給ふといひつれば、ありのまゝにはや出でさせ給ひぬ、これかれも追ひてなむ參りぬるといひつれば、いかやうに思してにかあらむとぞ御けしきありつるを、いかゞさは聞えむとありつれば、月頃の御ありさま、さうじのよしなどをなむ物しつれば、うち泣きて、とまれかくまれ、まづとくを聞えむとて、急ぎ歸りぬるを、さればろなうそこに御せうそくありなむ。さる用意せよ」などぞ、いひたるを見て、うたて心幼くおどろおどろしげにや、もしいな〈一字でたカ〉つらむ、いと物しくもあるかな、けがれなどせば明日明後日なども出でなむとするものをと思ひつゝ、湯の事急がして道にのぼりぬ。あつければ、しばし戶推しあけて見わたせば、塔いと高くて立てり。山めぐりて、ふところのやうなるに、木立いと繁く面白けれど、闇のほどなれば唯今暗がりてぞある。しよそ〈そ衍歟〉や行ふとて法師ばらさうぞけば、戶おしあけて念ずするほどに、時は山寺わざの貝四つふくるほどになりにた