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身の怠りなれば、さらにきこえず」とものしつ。さて思ふに、かくだに思ひ出づるもむづかしく、さきのやうに悔しき事もこそあれ、猶しばし身をさりなむと思ひ立ちて、西山に例のものする寺あり、そちものしなむ、かの物忌果てぬさまにとて、四日出で立つ。物忌も、今日ぞあくらむと思ふ〈如元〉るなれば、心あわたゞしく思ひつゝ、物取りしたゝめなどするに、うはむしろのしたに、つとめてくふ藥といふもの、たゝう紙の中にさし入れてありしは、こゝに行き歸るまでありけり。これかれ見出でゝ、「これ何ならむ」といふを、取りてやがてたゝう紙の中にかく書きけり、

 「さむしろのしたまつ事も絕えぬれば置かむかただになきぞ悲しき」

とて、文には「身をしかへねばとぞいふめれど、前わたりせさせ給はぬ世界もやあるとて、今日なむ。これもあやしき問はすがたりにこそなりにけれ」とて、幼き人のひたやごもりならむせうそこきこえにとて、ものするにつけたり。「もし問はるゝやうもあらば、これはかき置きて早くものしぬ、置いてなむ罷るべきとをものせよ」とぞいひ持たせたる。ふみうち見て、心あわたゞしげに思はれたりけり〈むカ〉。返り事には、「よろづいとことわりにあれど、まづいくらむはなにへ〈いづくイ〉にぞ。頃は行ひにもびんなからむを、こたみばかりいふこと聞くと思ひて、とまれいひあはすべき事もあれば、唯今渡る」とて、

 「あさましやのどかにたのむとこのうへをうちかへしける波の心よ。

いとつらくなむ」とあるを見れば、まいて急ぎまた〈さカ〉りてものしぬ。山ぢなでふ事なけれどあ