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と、くり返しいはれし程にぬるところにもあらでよは明してけり。その月みたるばかりの程にて年〈天延元年〉は越えにけり。その程の作法例のことなればしるさず』。さて年頃思へば、何事にかあらむ。ついたちの日は見えずして、止むべきなめりき。さもやと思ふ心遣ひせらる。ひつじの時ばかりにさきおひのゝしるぞなど人も騷ぐほどに、ふとき〈き衍歟〉ひき過ぎぬ。いそなだ〈二字ぐにカ〉こそはと思ひかへしつれど、よるもさてやみぬ。つとめてこゝに、縫ふ物ども取りがてら「昨日の前わたりは日の暮れにし」などあり。いと返り事せまうけれど猶「年の初に、腹立ちなめ〈せカ〉そ」なんどいへば、少しはくねりて書きつ。かくしも安からず覺え、いふやうは、「このおしはかりし近江になむ文通ふ。さなりたるべしと、世にもいひ騷ぐ心づきなさになりけり」。さて二三日すごしつ。三日又申の時に、一日よりもけにのゝしりて來るを、「おはしますおはします」といひ續くるを、一日のやうにもこそあれ、かたはらいたしと思ひつゝ、さすがに胸走りするを、近くなれば,こゝなるをのこども、中門おし開きて、ひざまづきてをるに、うべもなく引き過ぎぬ。今日まして思ふ心おしはからなむ。又の日は大饗とてのゝしる。いと近ければ今宵さりともと試みむと人知れず思ふ。車の音ごとに胸潰る。よき程にて皆歸る音も聞ゆる。かどのもと〈二字まへイ〉よりも、あまた追ひく〈ちカ〉らしつゝ行くを過ぎぬと聞く度每に心は疎く、限りと聞きはてつればすべてものぞおぼえぬ。あ〈く脫歟〉る日、又つとめてなほもあらで文見ゆ。かへりごとせず。又二日ばかりありて、「心の怠にはあれど、いと事繁き頃にてなむ。ようさりものせむにいかならむ。恐しさに」などあり。「心ち惡しき程にてえ聞えず」とものして思ひ