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霧立ちわたり、川のあなたは繪に書きたるやうに見えたり。川づらに放ち馬どものあさりありくも遙に見えたり。いと哀なり。二なく思ふ人をも、人目によりてとゞめ置きてしかば、出で離れたる序に、死ぬるたばかりをもせばやと思ふにはまづこのほだし覺えて戀しう悲し。淚の限をぞ盡しはべる。をのこどもの中には「これよりいと近くなり。いさうくなたの身には、いまも口ひき過ごすと聞くぞかうかなるや」などいふを聞くに、さて心にもあらず引かれいなばやと思ふ。かくのみ心盡せば物などもくはれず。「しりへの方なる池にしぶきといふものおもひたる」といへば、「とりてもてこ」といへばもて來たりける。けにあへしらひてゆをし切りてうちかざしたるぞ、いとをかしう覺えたる。さては夜になりぬ。御堂にてよろづ申し泣き明して、曉方にまどろみたるに見ゆるやう、この寺のべたうと覺しき法師、銚子に水を入れて持て來て、右の方の座に入りくと見る。ふと驚かされて佛の見せ給ふにこそはあらめと思ふに、まして物ぞ哀に悲しく覺ゆる。明けぬといふなればやがて御堂よりおりぬ。まだいと暗ければ〈どカ〉海のうへ白く見え渡りて、さいふいふ人二十人ばかりあるを、乘らむとする舟の、さ〈きイ〉しかげのかたへばかりに見くさ〈だイ〉されたるぞいと哀にあやしき。みあかしたて參らせし僧の見送るとて岸に立てるに、唯さし出でにさし出でつれば、いと心細げにて立てるを見やれば、かれはめなれにたるらむ一つ〈二字所イ〉に悲しくや、とまりて思ふらむとぞ〈心イ有〉うる。をのこども「今らいねんの友〈今カ〉月友〈今カ〉ひ參らむよ」とよばひたれば「さなり」と答へて遠くなるまゝに、影のごと見えたるもいと悲し。空を見れば月はいと細くて影は海のおもてに移り