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げてくる者あり。そこにとまりて「御文」といふめり。見れば「昨日今日の程何事かいと覺束なくなむ人少なにて物しにし。いかゞいひしやうに三夜き〈さカ〉ぶらはむずるか。歸るべからむ日聞きて迎へにだに」とぞある。返ごとには「つば市といふまでは平かになむ。かゝるついでにこれよりも深くと思へば歸らむ日をえこそ聞え定めね」と書きつ。「こそ〈そこカ〉にて猶三日作〈一字まちカ〉給ふ事、いとびんなし」など定むるを、使聞きて歸りぬれば、それより立ちていきもていけるは、なでふ事なき道も山深きこゝちすれば、いとあはれに、水の聲も例に過ぎもと有〈きりはイ〉さしも立ちわたり木の葉は色々に見えたり。水は石がちなるなかより湧きかへり行く。夕日のさしたるさまなどを見るに淚も留まらず。道は殊にをかしくもあらざりつ。紅葉もまだし。花も皆失せにたり。をれたる薄ばかりぞ見えつる。こゝはいと心ことに見ゆればすだれ卷きあげて下簾垂おしはさみて見れば、着なやしたる物の色もあらぬやうに見ゆ。薄色なるうすものゝ裳を引きかくれば、こしなどちりてこがれたるくち葉にあひたる心ちもいとをかしう覺ゆ。かたゐどものつきなべなど居ゑてをるもいと悲し。げすぢかなる心ちして生けおとりしてぞ覺ゆる。ねぶりもせられずいそがしからねば、つくづくと聞けば目も見えぬ者のいみじげにしもあらぬが、思ひける事どもを人や聞くらむとも思はずのゝしり申すを聞くも哀にて唯淚のみぞこぼるゝ。かくて今しばしあらばやと思へど明くればのゝしりて出し立つ。かへさは忍ぶれどこゝかしこあるじしつゝとゞむれば、物さわがしうて過ぎ行く。三日といふに京につきぬべけれど、いたう暮れぬとて山城の國久世のみやけといふ所にとまりぬ。い