Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/50

このページは校正済みです

語らひおきなどすべき人は京にありけり。山寺にてかゝるめは見れば幼き子を引きよせて僅にいふやうは「われはかなくて死ぬるなめり。かしこに聞えむやうはおのがうへをばいかにもいかにもな知り給ひそ。この御後の事を人々のものせらむうへにもとぶらひものしたまへと聞えよ」とて、いかにせむとばかりいひてものもいはれずなりぬ。日ごろ月ごろわづらひてかくなりぬる人を、今はいふかし〈ひカ〉なきものになして、これにぞ皆人はかゝりて、ましていかにせむよとからはと、泣くがうへに又泣き惑ふ人多かり。ものはいはねどまた心はあり。目は見ゆる程にいたはしと思ふべき人よりきて「親は一人やはある。などかくはあるぞ」とてゆく〈く衍歟〉をせめて入るれば、のみなどして見などなほりもてゆく。さて猶思ふにもいきたるまじき心ちするは、この過ぎぬる人わ〈づ脫歟〉らひつる日ごろものなどもいはず、唯いふことゝては「かくものはかなくてありふるを夜晝歎きにしかば哀れいかにし給はむずらむ」としばしは息のしたにもものせられしを、おもひ出づるに、かうまでもあるなりける。人聞きつけてものしたり。我はものも覺えねば知りも知られず。人そ〈にカ〉あひて「しかじかなむものし給ひつる」と語れは、うち泣き、けがらひも忌むまじきさまにありければ、いとびんなかるべしなどみ〈もカ〉のして、立ちながらなむそのほどのありさまはしもいと哀れに志あるやうに見えけり。かくてとかうものすることなどいたづら人多くて皆しはてつ。今はいとあはれなる山寺につどひてつれづれとあり。よる目もあはぬまゝに歎きあかしつゝ山づらを見れば霧ぞ〈は歟〉げに麓をこめたり。京もげにたがもとへかは出でむとすらむ。いで猶みながら死なむと思