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も久しく詠めて、經のさるべき所々など忍びやかに口ずさびにし居たり。奧のかたに御手水粥などしてそゝのかせば步み入りて文机に押し懸りて文をぞ見る。おもしろかりける所々はうちずんじたるもいとをかし。手洗ひて直衣ばかりうち着て錄をぞそらに讀む。まことにいとたふとき程に近き所なるべし。ありつる使うちけしきばめば、ふと讀みさして返り事に心入るゝこそいとほしけれ。

淸げなるわかき人のなほしも、うへのきぬも、狩衣もいとよくて、きぬがちに袖口あつく見えたるが、馬に乘りていくまゝに供なるをのこたて文を目をそらにて取りたるこそをかしけれ。

前の木だち高う庭廣き家の、東南の格子どもあげ渡したれば、凉しげに透きて見ゆるに、母屋に四尺の几帳立てゝ前にわらふだを置きて舟よばかりの僧のいと憎げなからぬが、薄墨の衣うすものゝ袈裟などいと鮮かにうちさうぞきて香染の扇うちつかひ千手陀羅尼讀み居たり。ものゝけにいたう病む人にや。うつすべき人とて大きやかなるわらはの髮など麗しきひとへあざやかなる袴長く着なしてゐざり出でゝ、橫ざまに立てる三尺の几帳の前に居たれば、とざまにひねり向きていと細うにほやかなるとこを取らせて、「をゝ」と目うちひさきて讀む陀羅尼もいと尊し。け證の女房あまた居てつどひまもらへたり。久しくもあらでふるひ出でぬれば、もとの心失ひて行ふまゝに隨ひ給へる護法もげにたふとし。せうとの袿したる細冠者どもなどのうしろに居て團扇するもあり。皆たふとがりて集りたるも、例の心なら