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を」といひけむ、なかだかわらはおひいかでおどす人と。

鶯に杜鵑は劣れるといふ人こそいとつらうにくけれ。鶯はよるなかぬいとわろし。すべてよるなくものはめでたし。ちごどもぞはめでたからぬ。

八月つごもりがたにうづまさ〈廣隆寺〉にまうづとて見れば、穗に出でたる田に人多くてさわぐ。稻刈るなりけり。「早苗とりしかいつのまに」とはまこと、げにさいつころ賀茂に詣づとて見しが、哀にもなりにけるかな。これは女もまじらず、男の片手にいと赤き稻のもとは靑きを刈りもちて、刀か何にかあらむ、もとを切るさまのやすげにめでたき事にいとせまほしく見ゆるや、いかでさすらむ。穗をうへにてなみをるいとをかしう見ゆ。いほりのさまことなる〈りイ〉

     いみじくきたなきもの

なめくぢ、えせ板敷の箒、殿上のがふし。

     せめておそろしきもの

よるなる神。近き隣に盜人の入りたる、我が住む所に入りたるは唯物もおぼえねば何とも知らず〈ちかき火イ有〉

     たのもしきもの

心ちあしきころ僧あまたして修法したる。思ふ人の心ちあしきころ、まことにたのもしき人の言ひ慰めたのめたる。物おそろしき折の親どものかたはら。

いみじうしたてゝ聟取りたるに、いとほどなくすまぬ聟の、さるべき所などにて舅に逢ひた