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三條の宮におはしますころ〈長保二年五月〉のさうぶの輿など持ちてまゐり、くす玉まゐらせなどわかき人々御匣殿などくす玉して、姬宮、若宮つけさせ奉り、いとをかしきくす玉ほかよりもまゐらせたるに、あをざしといふものを人のもてきたるを、靑きうすえふをえんなる硯の蓋に敷きて「これませごしにさふらへば」とてまゐらせたれば、

 「みな人は花やてふやといそぐ日もわがこゝろをば君ぞ知りける」

と紙の端を引きやりて書かせ給へるもいとめでたし。

十月十餘日の月いとあかきにありきて物見むとて、女房十五六人ばかり皆濃ききぬをうへに着て、引き隱しつゝありし中に、中納言の君の紅の張りたるを着て、頸より髮をかいこし給へりしかば、あたらしきそとはにいとよくも似たりしかな。ゆげひのすけとぞわかき人々はつけたりし。しりに立ちて笑ふも知らずかし。

成信の中將こそ人の聲はいみじうよう聞き知り給ひしか。同じ所の人の聲などは常に聞かぬ人は更にえ聞き分かず。殊に男は人の聲をも手をも見わき聞きわかぬものを、いみじうみそかなるもかしこう聞き分き給ひしこそ。

大藏卿〈藤原正光〉ばかり耳とき人なし。まことに蚊の睫の落つるほども聞きつけ給ひつべくこそありしか。職の御曹司の西おもてに住みしころ、大殿の四位少將と物いふに、そばにある人この少將に「扇の繪の事いへ」とさゝめけば「今かの君立ち給ひなむにを」とみそかにいひ入るゝを、その人だにえ聞きつけで、何とか何とかと耳をかたぶくるに、手をうちて「にくし。さ