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山里めき哀なるに、うつ木垣根といふ物のいとあらあらしうおどろかしげにさし出でたる枝どもなど多かるに、花はまだよくもひらけはてず、つぼみがちに見ゆるを折らせて、車のこなたかなたなどにさしたるも鬘などのしぼみたるが口をしきに、をかしうおぼゆ。遠きほどはえも通るまじう見ゆる行くさきを、ちかう行きもてゆけば、さしもあらざりつるこそをかしけれ。男の車の誰とも知らぬがしりに引きつゞきてくるも、たゞなるよりはをかしと見る程に、引き別るゝ所にて「峯にわかるゝ」といひたるもをかし。

五月ばかり山里にありくいみじくをかし。澤水もげに唯いと靑く見えわたるに、うへはつれなく草生ひ茂りたるを、ながながとたゞさまに行けば、下はえならざりける水の深うはあらねど、人の步むにつけてとばしりあげたるいとをかし。左右にある垣の枝などのかゝりて車のやかたに入るも急ぎてとらへて折らむと思ふに、ふとはづれて過ぎぬるも口をし。蓬の、車に押しひしがれたるが輪のまひたちたるに近う〈七字たりけるにおきあがりてふとイ〉かゝへたる香もいとをかし。

いみじう暑き頃、夕すゞみといふ程の物のさまなどおぼめかしきに、男車のさきおふはいふべき事にもあらず。たゞの人もしりのすだれあげて、二人も一人も乘りて走らせていくこそいと凉しげなれ。まして琵琶ひきならし、笛のね聞ゆるは、過ぎていぬるも口惜しく、さやうなるほどに牛の鞦のかのあやしうかぎ知らぬさまなれど、うちかゞれたるがをかしきこそ物ぐるほしけれ。いと暗う闇なるに、さきにともしたる松の煙のかの車にかゝれるもいとをかし。五日のさうぶの秋冬過ぐるまであるがいみじう白み枯れてあやしきを、引き折りあげ