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このつぼねあるじも「さのみや籠り居給ふらむとする。いとあへなきまで御まへ許されたるは思しめすやうこそあらめ。思ふにたがふはにくきものを」と唯いそがしに出せば、我にもあらぬ心ちすれば參るもいとぞ苦しき。火たき屋のうへに降り積みたるも珍しうをかし。御まへ近くは例のすびつの火こちたくおこしてそれにはわざ人も居ず。宮は沉の御火桶の梨繪したるに向ひておはします。上臈御まかなひし給ひけるまゝに近く侍ふ。次の間にながすびつにまなく居たる人々、からぎぬ着垂れたる程なり。安らかなるを見るも羨しく御文〈ふイ〉とりつぎ立ち居ふるまふさまなど、つゝましげならず物いひゑわらふ。いつの世にかさやうにまじらひならむと思ふさへぞつゝましき。あうよりて三四人集ひて繪など見るもあり。しばしありてさき高うおふ聲すれば、「殿〈道隆〉參らせ給ふなり」とて散りたる物ども取りやりなどするに奧に引き入りて、さすがにゆかしきなめりと、御几帳のほころびより僅に見入れたり。大納言殿〈伊周〉の參らせ給ふなりけり。御直衣指貫の紫の色雪にはえてをかし。柱のもとに居給ひて、「きのふけふ物いみにて侍れど、雪のいたく降りて侍れば、覺束なさに」などのたまふ。「道もなしと思ひけるにいかでか」とぞ御いらへあなる。うち笑ひ給ひて「あはれともや御覽ずるとて」などのたまふ御ありさまは、これよりは何事かまさらむ。物語にいみじう口にまかせて言ひたる事どもたがはざめりと覺ゆ。宮は白き御ぞどもに紅の唐綾二つ、白き唐綾と奉りたる。御ぐしのかゝらせ給ふ〈へカ〉るなど繪に書きたるをこそかゝることは見るにうつゝにはまだ知らぬを夢の心ちぞする。女房と物いひたはぶれなどし給ふを、いらへいさゝか耻か