Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/257

このページは校正済みです

うしはしとみをぞみ格子にまゐり渡し或ひし程に、歌のかへりごとも忘れぬ。いと久しく鳴りて少しやむ程はくらくなりぬ。「唯今猶その御返り事奉らむ」とて取りかゝるほどに、人々上達部などかみの事申しに參り給ひつれば、西おもてに出でゝ物など聞ゆる程に、まぎれぬ。人はたさしてえたらむ人こそ知らめとて止みぬ。「大かたこの事にすくせなき日なり。どうじて今はいかでさなむいきたりしとだに人には聞かせじ」などぞ笑ふを、今もなどそれいきたりし人どものいはざらむ、されどもさせじと思ふにこそあらめと物しげにおぼしめしたるもいとをかし。「されど今はすさまじくなりにて侍るなり」と申す。「すさまじかるべきことかは」などのたまはせしかばやみにき。二日ばかりありてその日の事など言ひ出づるに、宰相の君「いかにぞ手づから折りたるといひし下蕨は」とのたまふを聞かせ給うて、「思ひ出づることのさまよ」と笑はせ給ひて、紙のちりたるに、

 「したわらびこそこひしかりけれ」

とかゝせ給ひて、「もといへ」と仰せらるゝもをかし。

 「ほとゝぎすたづねてきゝし聲よりも」

と書きて參らせたれば「いみじううけばりたりや。かうまでだにいかで郭公の事をかけつらむ」と笑はせ給ふも耻かしながら、「何かこの歌すべて詠み侍らじとなむ思ひ侍るものを、物のをりなど人のよみ侍るにもよめなど仰せらるれば、えさぶらふまじき心ちなむしはべる。いかでかは、文字の數知らず、春は冬の歌をよみ、秋は春のをよみ、梅の折は菊などをよむ事