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ふれぬばかり、もし人やおひてとらふると見ゆるでまどひ出づるもあめり。

しきの御ざうしにおはしますころ、こだちなど遙に物ふり、屋のさまも高うけどほけれどすゞろにをかしう覺ゆ。母屋は鬼ありとて皆へだて出して、南の廂に御几帳たてゝまたひさしに女房は侍ふ。近衞の御門より左衞門の陣に入り給ふ上達部のさきども、殿上人のはみじかければ、おほさきこさきと聞きつけてさわぐ。あまたたびになればその聲どもゝ皆聞きしられて「それぞかれぞ」といふに「又あらず」などいへば、人して見せなどするに、いひあてたるは「さればこそ」などいふもをかし。有明のいみじうきり渡りたる庭におりてありくをきこしめして御まへにもおきさせ給へり。うへなる人〈人のかぎりイ有〉は皆おりなどして遊ぶに、やうやう明けもてゆく。左衞門の陣にまかりて見むとて行けば、我も我もと追ひつきて行くに、殿上人あまた聲して「なにがし一聲の秋」とずんじてい〈一字まゐイ〉る音すれば、にげ入りて物などいふ。月を見給ひけるなどめでゝ歌よむもあり。よるも晝も殿上人の絕ゆる折〈よイ〉なし。上達部まかで參り給ふに、おぼろげに急ぐことなきはかならずまゐり給ふ。

     あぢきなきもの

わざと思ひたちてみやづかへに出で立ちたる人の、ものうがりてうるさげに思ひたる。人にもいはれむつかしき事もあればいかでかまかでなむといふことぐさをして、出でゝ親をうらめしければまた參りなむといふよ。とりこのかほにくさげなる。しぶしぶに思ひたる人を忍びて聟にとりて思ふさまならずとなげく人。